ちょっと面白い「1984年製」のVespa PX200E 入庫しました!
走行距離約12,700kmと年式の割にはローマイレッジ。
オリジナルペイントの白(右サイドパネル補修ペイント跡あり)
小キズ、小錆、フロア部分に小穴(強度には影響ない程度)などありますが全体的に良い雰囲気。
....というところから以下、本車両に関してちょっと個人的に興味を持ったところのご紹介になります。
長くなりますので興味のない方は飛ばしていただいて結構です。
本車PX200Eですがフレームナンバーから1984年製ということが判明しました。実はこれがVespaトリヴィア的面白さに満ちた1台となります。
1977年に発表されたPシリーズですが、その歴史を簡単に振り返ってみますと、初代P200Eは1982年まで製造され生産台数は約16万台生産されました。
そのP200Eのマイナーチェンジバージョンといえるのが、今回ご紹介する本車PX200Eとなります。
PX200Eは1981年から1983年まで製造されて生産台数約25,000台とされています(これは少ない)。
ここまでが一般的にP(ピー)と呼ばれている初期外装を備えた車両になります。
その後1983年に、PX200Eの名称はそのままにセル付きのいわゆるArcobaleno(虹)〜左サイドパネルエンブレムに虹カラーが入る〜にモデルチェンジしますが、この際ホーンキャスティングやシート、メーターなど外観が大幅に変更され、日本では当時PX BMEと呼ばれて販売されました。
のち1994年にはレッグシールドトリムが黒に変更されるなどの外装のマイナーチェンジはありましたが、10年以上に及ぶロングセラー車となりました。
その後は1998年にディスクブレーキを備えた”FL1"が発表され、マイナーチェンジで"FL2"へとつながっていきました。
一般的にはArcobaleno(BME)モデルあたりから"P"じゃなくて"PX"と言われるようになった気がします。
PX200Eという、P200EとPX200 Arcobaleno (BME)の間に挟まれたちょうど過渡期の生産故でしょうか、パッと見は普通の初期"P"なのに、細部では所々"PX"化が図られていたりと、両者のミックス具合がP/PXシリーズの進化をそのまま体現しているようで実に興味深いところです。
例えばサイドパネルの取り付け方はPまでは旧車同様外部フックで取り外ししていましたが、このモデルからシート下のレバーを操作して取り外す方式に変わりました。盗難防止効果、脱落防止効果の向上を目指したものだったと思われます。
またハンドルスイッチ左右は初期P仕様からBME仕様に変更されています。
ガソリンタンクもそれまでのフレーム同色仕上げから黒一色へと変更されました。
で、この車両が面白いのは、そうしたPX200Eの進化の様子がみられるというだけではなく、車両の製造番号とその来歴、ヒストリーに及びます。ピアジオ社監修の資料では生産は1983年車台番号184910号車までとされているPX200Eですが、現車は生産終了の翌年1984年に製造されており車台番号19万番台前半となっています。公式の生産台数といわれながら実際は何らかの事情で追加生産がされたりするのは二輪&四輪の世界ではよくあることです。簡素なバッテリーレス仕様車であった旧モデルの需要が新型切替後にも一定数あったためだろうと考えるのが、この車両が1984年になっても生産されていたその理由付けとしてまあ常識的なセンだとは思います。しかしながら私は敢えて異説、「新型?コレジャナイ!」という日本市場からの意向を受けて、ピアジオが日本向けに追加生産してくれたのではないか!?説を唱えさせていただきたく思います。コレジャナイ感の大元はおそらく、というか確実に1980年4月まで放映されていた「探偵物語」で松田優作さんが演じられた私立探偵工藤ちゃんの乗ってた、あの伝説のP150Xへと繋がっていくわけですが、後継となったPX BMEのモダン感が当時いまいち受け入れられずに「アレもう手に入らないんですか?」という旧型を求める市場の声に応えるべく限定的に追加生産されたのが、この1984年製PX200Eではないかと思ったわけです。実はそう思わせてくれたきっかけはツールボックスにしまわれていた新車の時からのマニュアルです。
株式会社ベスパさん製作の日本語マニュアルと本国版マニュアルになります。株式会社ベスパさんの社名の上に黒塗りがありますが、ここには日本総代理店の文字がありました。1980年代前半といえば株式会社ベスパさん、ジャパンベスパさん、成川商会さんとVESPAの輸入に関して群雄割拠状態、数社が取り扱いをしていた時代ですが、その時代の状況をうかがわせる貴重な1冊になります。当時の日本国内は今とは比べ物にならないほどの一大バイクブームの時代であり、その日本から少なからずまとまった台数の発注が来たことで、ちょっと前に生産終了したモデルでありながらピアジオ社が追加生産に応じてくれたのではないか?と私は推測しています(のちにET3を成川商会さんが再生産にこぎつけたことのひな型といえるのかも)。この辺りの詳細は機会があればいずれ株式会社ベスパの庭田さんをはじめとした当時の事情を知る関係者のみなさまにお話を伺ってみたいところです。
ずいぶんと長くなってしまいましたが、この1984年製PX200E、そんな訳でちょっと突っ込んで考察してみるとなかなか面白い1台でありました。この辺りの当時の詳しい事情ご存知の方、いらっしゃいましたらご教示いただけると幸いに存じます。
左サイドエンブレムが”P200E"ではなく、"PX200E "になっているところもなんとも趣があります。 ということで以上、VESPA PX200E (1984)のご紹介でした〜